岩崎彌太郎(いわさきやたろう)は、明治時代の初めに活躍した実業家で、三菱財閥の創設者となります。
出身は土佐の井ノ口村で、岩崎弥太郎とも書きますが、曾祖父の代に郷士の資格を売却しており、いわゆる地下浪人の家に生まれました。
郷士と言うのは、お金を出して武士の身分を購入した豪農などと言う意味になります。
しかし、岩崎家は生活に苦しくなり、その身分を売ってしまっており、生活は苦しく、岩崎弥太郎は若いころから苦労していました。
土佐にて蟄居していた吉田東洋の少林塾に入ると、後藤象二郎とも親しくなり、 やがて土佐藩の仕事をするようになります。
そして、長崎に行くと坂本龍馬とも交流し、開成館長崎出張所(長崎商会)の主任となると、土佐藩のために蒸気船や武器などを購入しました。
また、土佐藩・大阪藩邸の責任者(中老格)となり、非凡な才覚にて九十九商会(つくも-しょうかい)を獲得し、商売の幅を広げました。
明治4年に廃藩置県彌太郎とにると、土佐藩の職を失いましたが、九十九商会の経営者に就任します。
主に船舶運航を事業としており、高知~神戸航路、東京~大阪間で利益を上げて行きます。
更に、明治政府の大久保利通・大隈重信らと提携し、藩船などの払い下げを受けて船を増やし、九十九商会は、明治6年に「三菱商会」に、明治7年には三菱蒸汽船会社へと社名を変更しました。
岩崎家の家紋から、三菱のマーク「スリーダイヤ」が考案されています。
儲かりすぎて、従業員に日本で初めてボーナスを支給したとも言われます。
また、西南戦争では、政府軍の兵士輸送なども受注し、莫大な利益を得るなどしたため、独占的なやり方は、井上馨や品川弥二郎・西郷従道らから批判を浴びるようになります。
三井系の共同運輸会社も海運に乗り出し、値下げ競争となったさなかに岩崎彌太郎(岩崎弥太郎)は病死。
50歳で生涯を閉じました。
岩崎弥太郎の名言としては下記のような言葉があります。
部下を優遇するにつとめ、事業上の利益は、なるべく多くを分与すべし。
ほんと、そうなんですよね。
例えば、派遣を使うと言う事は、人件費を減らすと言う行為です。
そうではなく、逆に優遇すれば、一生懸命、働いてくれるようになり、更に事業が発展すると言えます。
その優遇する方法を工夫すれば良いのではと感じずにいられません。
岩崎弥太郎に関して、もっと詳しく知りたいと言う方は下記が参考になります。
大河ドラマ・映画などで岩崎弥太郎を演じた俳優さん
※敬称略・順不同
香川照之「龍馬伝」(2010年、NHK大河ドラマ)
※他にもありましたら、コメント欄よりのお寄せ願えますと幸いです。
(参考)
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