千利休は、茶の湯を戦国時代から安土桃山時代にかけて武将たちに広めましたが、千利休が作り上げた茶の湯を愛した戦国武将も少なくありませんでした。
日本史が大好きな歴女の筆者も、最近抹茶を自宅で点てる作法を体験をしましたが、なぜ戦国武将たちが茶の湯を愛したのかがようやくわかった気がします。
そこで今回は、茶の湯がどうして戦国武将たちを虜にしたのかについて3つの可能性を考えてみました。
茶の湯の虜になった戦国武将とは?
千利休によって世に大きく広まった茶の湯の文化により、多くの有名な戦国武将たちが魅力にはまっていきました。
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・織田信長
・豊臣秀吉
・明智光秀
・前田利家
・足利義輝
・足利義昭
・大友宗麟
・松永久秀
・荒木村重
・蒲生氏郷
・高山右近
・細川忠興
・有馬豊氏
・金森長近
・織田有楽斎
・北条幻庵
・直江兼続
・前田利益
・豊臣秀次
・秋月種実
・上田宗箇
・古田織部
・小堀遠州 など
今でも多くの人に親しまれている名前が連なっていることがわかります。
茶の湯と茶道はお茶に対する精神性がちがう
茶の湯と茶道は、一見同じものに感じるかもしれません。しかし、茶の湯と茶道は精神性が異なります。
茶の湯の場合、千利休が「茶の湯とは、ただ湯をわかし茶を点てて、のむばかりなることと知るべし」という言葉を遺しています。
千利休が当時の弟子たちに語ったこの言葉の中には、「今日」行われる茶会は一回きりであるため互いに思いやりを持って接し、お茶をきっかけに一期一会を楽しもうというコンセプトが隠されています。
つまり、お茶会玄人もお茶会初心者だとしても、誰でも大歓迎というのが茶の湯です。
一方の茶道は、宗教の考え方に通じるものがあります。茶道の起源を辿ると、鎌倉時代に臨済宗の開祖である栄西が、茶の飲み方と栽培方法を日本に伝えたのが始まりとされています。
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臨済宗といえば、中国の禅宗五家のひとつです。「自分を救うのは自分だけである」というのが禅宗の特徴もと、茶道では自分を見つめ直すための時間を作ることの大切さが唱えられています。
茶道は禅宗そのものの教えを元に、人の心を養い、人間の価値を高めるための禅宗の教えのひとつを体現化したものといえます。
戦国時代に君臨した茶人・千利休
茶の湯を茶道へと導き、後に「茶聖」と呼ばれるようになった千利休とはどんな人物かをおさらししましょう。
千利休は1522年(大永2年)に、和泉国(現在の大阪府)に堺商人の息子として生まれました。
茶の湯を17歳で学び、18歳には茶の湯を簡素化し、わび茶を完成させた武野紹鴎(たけのじょうおう)に弟子入りします。
その後、23歳で初の茶会を見事に成功させ、茶人としての道を歩み始めます。
千利休は茶道で天下人の心を掴んだ
千利休は武人ではなく、茶人であり父の家業を継いだ商人です。
織田信長や豊臣秀吉といった天下人に重用されながらも、みごとに両者を立て、政治の中枢に関わるようになります。
織田信長主催の茶会を2度成功させたことが認められ、織田信長は茶の湯を部下に奨励するために千利休に協力を仰ぎました。
さらに、豊臣秀吉からの願いを受けて茶頭になりますが、豊臣秀吉は織田信長以上に千利休を重宝し、ついに千利休は豊臣秀吉の側近にまで上りつめました。
千利休が大成した「茶の湯」戦国武将に愛された理由とは?
ここで疑問なのが、なぜ戦国武将たちに茶の湯が愛されたのかではないでしょうか。
戦国武将たちに茶の湯が愛されたのは、茶の湯の独特の文化や抹茶の性質、当時の状況も含めた理由が3つ考えられます。
1)茶の湯の空間に貴重な安らぎの時間があった
戦国時代といえば、合戦の繰り返しで、いつまで生きられるのかもわからない乱世です。
戦国武将たちも、合戦の合間に心の安らぎがほしいと考えていたのでしょう。そんな戦国武将たちを掴んだのが茶の湯だったといわれています。
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たとえば、茶室に入室する際はにじり口と呼ばれる狭い入り口から入室しますが、茶室の外に用意されている刀立てを使わないと入室できません。
つまり、茶の湯の時間は誰もが武器を持たない丸腰状態。しかし、丸腰状態で参加者が主人のおもてなしを楽しむという空間こそ、自分や「この瞬間」をじっくり見つめられる至福のひと時だったと考えても不思議ではありません。
茶の湯のおもてなしは、戦国武将たちにとってリラックスできる瞬間だったのではないでしょうか。
2)戦国武将にとっても健康に良かった
茶の湯では抹茶を点てますが、まさにお茶こそ日々戦いや知略を張り巡らせていた戦国武将たちにとってのサプリメントだったのでしょう。
抹茶には豊富な栄養祖が含まれていることをご存じでしょうか?お茶が日本にもたらされた当初、お茶は飲み物ではなく薬として使われていました。
①アミノ酸の一種でありうま味成分のテアニンは心身へのリラックス効果が高く即効性も高い
②殺菌作用が強く老化防止に繋がるカテキン
③カフェイン
④ビタミンCはレモンの5倍以上
⑤ミネラル・アミノ酸も豊富
上記以外でもお茶のもたらす健康効果は高いとされており、身体に良いからこそ、多くの戦国武将たちに愛されていたのではないでしょうか。
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事実、千利休も自害という最期を迎えたものの71歳まで長生きしていますから、健康食品としてのお茶の効果がてきめんだったのかもしれませんね。
3)戦国武将にとって「たしなみ」だった
茶の湯を学ぶことは、戦国武将たちの一般教養でした。つまり、茶の湯の作法を知っているというのは、一定の権力と富を表す判断材料だったのです。
当初、茶の湯ではお茶を楽しむというよりは、
・茶器を集めて披露する
・茶器を使って部下や他の武将の心を掴もうとする
・政治の密談に使用する
といったように、戦国武将のステータスを披露する場であると同時に、政治の道具として使われる場所でした。
しかし、千利休と豊臣秀吉で変えていった茶の湯・茶道の姿は、別の物でした。
茶の湯の場に集う人々で生まれる人脈もさることながら、禅宗の精神がつまった「自分を見つめ直す」茶の湯の時間は、日々緊張感に苛まれている戦国武将たちへリラックスをもたらすと同時に、魅力的に感じられたのではないでしょうか。
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まとめ
千利休が大成した茶の湯は、日々生死の境目を生きる戦国武将たちにとってただ「たしなみ」というだけでなく、貴重な「自分を見つめ直す時間」だったのかもしれません。
お茶を一口飲む際は、ぜひ今回の小話を思い出して、千利休をはじめとする茶人や戦国武将たちに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
(寄稿)あさひなペコ
・茶人・千利休の優れた弟子たち「利休七哲」!諸説あるメンバーの変遷を振り返る
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