阿野全成の解説~源頼朝の兄弟で母は常盤御前【阿野全成の墓・大泉寺】

阿野全成

阿野全成の略歴

・母は常盤御前 (源義経と母が同じ)
・幼いころから僧侶だったので武術は苦手?
北条政子の妹である阿波局を妻にした
・妻は源実朝の乳母を務める
・最後は謀反の疑いで暗殺される

阿野全成の生涯

阿野全成 (あの-ぜんじょう)は、鎌倉時代初期の僧侶で、1152年に生まれました。幼名は今若です。
父は河内源氏の棟梁・源義朝で、母は常盤御前で、源義経(1159年生まれ)が同母弟となるほか、異母兄が源頼朝(1147年生まれ)でもあります。
1159年、平治の乱にて、父・源義朝が敗死した際には8歳くらいだったため、醍醐寺にて出家させられ、隆超(隆起)と称しました。
その後「全成」と改名していますが、その荒法師ぶりから「醍醐の悪禅師」とも呼ばれたようです。


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1180年、以仁王の令旨が出さると、密かに醍醐寺から抜け出して、修行僧に身を扮し、関東を目指しました。
伊豆にて挙兵した源頼朝が、石橋山の戦いにて敗れた直後である8月26日、佐々木定綱佐々木経高と兄弟らと合流しました。
そして、相模国高座郡渋谷荘の領主・渋谷重国に匿われました。
渋谷重国は、平家勢で、源頼朝に勝利した大庭景親の軍勢に加わっていましたが、佐々木兄弟とその妻子、そして、阿野全成を保護し、その後、源頼朝に協力しています。
このようにして、10月1日、阿野全成は、下総・鷺沼の宿所(下房・鷺沼城か?)を訪ねて、源頼朝と対面しました。
これは、源頼朝の兄弟の中で、源義経より先に駆けつけた最初の合流であり、源頼朝は泣いて喜んだと伝わります。
源頼朝の鎌倉入りにも同行しました。
こうして、阿野全成は、武蔵国長尾寺(川崎市多摩区の妙楽寺)を与えられて住職となり、源頼朝の妻・北条政子の妹である阿波局を正室に迎えました。
下記は、妙楽寺(長尾寺)です。

妙楽寺

また、駿河国阿野荘の所領を与えれ、源氏一族として置かれると「阿野」の姓名を称した模様で、阿野冠者(あののかじゃ)とも呼ばれています。

阿野全成

阿野全成の弟・源義経が、腰越状を出しても兄・源頼朝に追わた際に、京に向かった時にか、沼津・大泉寺に立ち寄ったとされます。
母が同じ常盤御前である、阿野全成と源義経は、涙ながらに語り合ったとされます。

沼津・大泉寺

1192年、阿波局は、源頼朝の次男・源千幡(源実朝)の乳母にもなっています。
この時代、妻の夫が養育係になることが多いため、阿野全成が源実朝の養育も務めた模様です。

1199年、源頼朝が死去し、2代鎌倉殿に18歳の源頼家が就任すると、通常であれば、源頼家の嫡男が次期将軍候補です。
しかし、阿野全成は北条時政北条義時と結び、北条政子の子である源千幡(源実朝)を将軍に据えようとし、源頼家や比企能員と対立しました。


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1203年5月、源頼家は叔父でもある阿野全成を、謀反の疑いで武田信光を派遣し捕縛しています。
翌日、源頼家は、阿波局の引き渡しを北条氏に求めましたが、母・北条政子が引き渡しを拒否しています。
そして、阿野全成は常陸国に流罪となりましたが、その常陸では源頼家の命を受けた常陸・小田城主の八田知家に手により、下野国(益子・大六天の森)で誅殺されました。享年51。

阿野全成の死後

阿野全成の首は、一夜のうちに、領地・井出の館に飛んできて、庭の松の枝に、ひっかかったと伝わります。
まぁ、届けられたと言う事でしょう。

阿野全成(今若)

その後、3男・阿野頼全が京都・東山延年寺にて、源仲章・佐々木定綱らによって殺害されています。
嫡子とされる阿野時元は、北条時政や伯母・北条政子の尽力もあり死罪は免れて、父の遺領・阿野荘にて隠棲しました。

井出・大泉寺

北条時政は、この年の9月、将軍・源頼家の外戚である比企能員を暗殺し、権力を高めました。
そして、源頼家は修禅寺にて謹慎となったあと、殺害され、鎌倉幕府・第3代将軍に源実朝が就任しました。

そのあと、1219年1月に、源実朝が殺害されると、次期将軍の座を狙い、遺児・阿野時元(あの-ときもと)は、一族で挙兵しましたが、兵が集まらず、執権・北条義時の命を受けた金窪行親に討ち取られています。
ただし、僅かな兵力で挙兵するのは、あまりにも無謀なため、 北条義時・北条政子の計画的な排除とする説もあります。


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井出・大泉寺

静岡県沼津市の興国寺城からほど近い井出の大泉寺(静岡県沼津市井出)に、嫡男・阿野時元の墓と、阿野全成の墓があります。
大泉寺の境内に入り、左手奥のほうに、阿野全成の墓がありがありました。

阿野時元の墓と、阿野全成の墓

阿野荘を賜った阿野全成は、この沼津・大泉寺の近くに屋敷を構えていたようです。

1203年、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が暗殺されたあと、阿野全成の子(阿波局の子)・阿野時元は、次期将軍になろうと、1219年、深山に城を築き準備を始めました。
しかし、執権・北条義時の命を受けた金窪行親の手勢に襲撃され、滅ぼされたともあります。
これは、源実朝が、源頼家の子・公暁により、鶴岡八幡宮にて暗殺されてから、わずか十数日後のことになります。


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沼津・大泉寺への交通アクセス・行き方ですが、JR沼津駅の南口から、富士急バスに乗車して所要40分、東井出バス停下車の徒歩1分になります。
門前脇に、駐車場がありますが、併設されている保育園と共有の模様ですので、地元の方優先でお願いしたいところです。
駐車場がある場所は、当方のオリジナル関東地図でもポイントしていますので、よければ、地図の中で「大泉寺」と検索してみてください。
北条早雲興国寺城にも駐車場がありますので、セットでどうぞ。
ちなみに、このあとは、源頼朝と源義経が対面した場所、沼津・対面石八幡神社に向かいました。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、阿野全成を俳優の新納慎也さんが演じられます。
実衣(阿波局)との子・頼全(らいぜん)は、俳優の小林櫂人(こばやしかいと)さんが演じられます。

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