正倉院とは
正倉院 (しょうそういん) は、奈良県奈良市雑司町にある高床式倉庫で世界遺産。
分かりにくい表現を使わずに、出来る限り簡潔にわかりやすく正倉院に関して記述してみたい。
正倉院ができたのは、奈良時代の756年6月21日。
聖武天皇の妃だった、藤原不比等の娘・光明皇后(こうみょうこうごう)が、亡き夫である聖武天皇の七七日(なななのか)※今で言う四十九日の際に、桓武天皇愛用の品約650点や、60種の薬物を東大寺の大仏に奉献したのが始まり。
この光明皇后(こうみょうこうごう)は、皇族以外からはじめて皇后になった女性。
そして、聖武天皇ゆかりの品々は、その後も3度、大仏に献納されたことから、それらの宝物を大切に保管するため「正倉院」と言う倉庫が建てられたと言う事になる。
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すなわち、正倉院は「院」と名がついていることから、寺など同じ分類と思う方がいるかも知れないが、倉庫の建物の名称となる。
校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉(しょうそう) で、当時は、高床式倉庫として公的な施設に設置されており、主に穀物や財物を保管していた。
その正倉が何棟も集まった大規模なものを正倉院と呼んでいた。
そのため、正倉院のような建物(倉庫)群が奈良・東大寺にだけあったと言う事でもない。
奈良の正倉院の規模は正面約33m、奥行約9m、床下の柱の高さ約2.5m。
建物は1つだが、内部は3区画に分かれていて、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)と区分する。
ただし、奈良時代には建物がいくつもあったようだが、平安時代末期には現存する宝庫1棟(国宝)を残すのみであったらしい。
朝廷の監視のもと東大寺が奈良・正倉院の管理を行っていた。
現在は、日本国憲法によって皇室用財産は国有財産のため、宮内庁の管轄となっている。
奈良のように大規模な正倉のことを、当時は正倉院(しょうそういん)と呼ぶ。
各地にあった正倉院は、長い歴史のなかでほとんどが消滅しており、奈良・東大寺にある正倉院のうち1棟だけが大切に残される結果となった。
そのため今となっては東大寺の正倉院が、事実上、正倉院の固有名詞にもなっている。
例えば鹿児島の伊集院、大分の由布院などの「院」は平安時代に倉院(倉庫)がおかれたことからの地名でもある。
国宝・正倉院の見学は、離れたところからの外観見学のみであるが無料で予約も不要。
ただし、宮内庁は土日祝休みの為、見学できるのは平日のみで、朝10時から15時となっている。
大切に保管されている宝物類は原則非公開。
更に、宝物類は国宝などに指定されていない。
ただし、毎年秋には奈良国立博物館にて「正倉院展」が開催され、大変貴重な宝物の一部を見ることができる。
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正倉院がある場所は、東大寺・大仏殿の裏手側(北側)にある。
東大寺の拝観出口からはゆっくり歩いて徒歩10分くらい。
時間があればぜひお立ち寄り願いたいが、前述のとおり土日は閉まっている。
駐車場の場所などは、当方のオリジナル地図「大阪・京都・奈良方面」にてポイントしている。
大坂・京都・奈良など関西方面の史跡
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)
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