尾崎城について(飛騨国)・尾崎城公園~金鶏伝説のある謎を秘めた城~

尾崎城について(飛騨国)・尾崎城公園~金鶏伝説のある謎を秘めた城~

尾崎城の構造や地理地形、歴史など

【尾崎城】
飛騨国大野郡の国人である塩谷(塩屋)秋貞が
築城した城と伝えられています。
塩谷(塩屋)秋貞元は、
塩の物流を支配する商人だったとも言われています。
塩谷(塩屋)秋貞自身も武将兼商人だったとのことです。

【所在地】
〒506-2121 岐阜県高山市丹生川町方1610番地
(尾崎城公園)

【別名】
金鶏城

【築城主】
塩谷秋貞(塩屋秋貞

【築城年代】
永禄~天正にかけて

【形態】
山城

【遺構】
土塁、横堀、堅堀、堀切

【地理地形、構造】
標高722m、比高40mです。
小八賀川南岸に東西にのびた
丘陵の西端にお城は築かれました。
発掘調査が行われ、現在は尾崎城址公園となっています。

丹生川中学校門前から500~600m北方面にいくと
尾崎城址公園までの車道があり、
車でお城へ登れるようになっています。

主曲輪の東側及び公園の入り口に、
畝状の堅堀や堀が確認できるそうです。
また、公園内には、
二条の連続堀切があり、
土塁が残っているとの事です。
その東側が本丸で、
西側が二の丸とのことです。

【出土品】
●中国製の青磁器
(当時の上層階級のステイタスシンボル)
●中国の銭、45キロ(明治時代に二の丸跡より)
※ただし、築城主とされる塩谷秋貞の時代以前のものと判明。
実際の築城はもっと古く、
かなりの資産を有した豪族?
現在では不詳とのことです。

【交通アクセス】
【車】
「尾崎城址公園」を目指し走行。
駐車場は10台分ほど。

【尾崎城址公園】
丹生川中学校の上にある公園です。。
尾崎城跡に公園として整備されました。
眺望に優れているそうです。
保育園の遠足にも利用されています。
トイレ(多目的トイレ有)、東屋、遊具、広場などがあります。

【歴史】
伝承では、戦国時代となる
永禄年代から天正にかけて
(1558年~1570年、1573年~)
塩谷秋貞が築いたとされています。

永禄7年(1564年)に武田信玄の家臣である
山県昌景に攻められて落城したとあります。
其の後、塩谷秋貞は上杉謙信に仕えることになったそうです。
上杉謙信が死去した後、織田信長に従属し、
本能寺の変後は佐々成政に与していたとされています。
天正11年(1583年)、
越中城生城主である斎藤信利との戦いで、
飛騨への帰還中に討ち死にしたとされています。

【姉小路頼綱に貸す】
尚、資産家でもあり、
三木自綱(姉小路 頼綱)に金を貸していた記録されている
文書が残っているそうです。

尚、三木自綱(姉小路 頼綱)は飛騨一国制覇の野望を成し遂げた
(但し内ヶ島氏が領地の白川郷地方は除く)国衆です。

【尾崎城のナゾ】
出土した青磁器や陶磁器の中には、
強い火力を受けた痕を受けたものが500点ほどあり、
その時期は15世紀以降とのことです。
この地域も応仁・文明の乱(1467年~)の
戦乱に巻き込まれたとする古文書があるそうです。

もしかしたら、
尾崎城の築城前には、
既に誰かの居館であったかもしれません。
もしくは、
秋谷氏は元々は塩の商人であり
かなりの資産を有していたことから、
武将となる前から
秋谷氏の先祖代々の居館が
既にこの地にあったかもしれません。

この城には埋蔵金があるとされ、
「金鶏伝説」も伝承されているのです。
一見、静かな山間の飛騨の地にあるこのお城。
実は大きな謎を秘めた城でもあります。

【金鶏伝説】
金の鶏と莫大が軍事資金が埋められているという
金鶏伝説があります。
元旦に金鶏が、東天紅と鳴き、
その鳴き声を聞いた者は、
莫大な幸福が得られるとのことです。

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