宮城県多賀城市にある多賀城跡
多賀城は大和政権が陸奥国府、蝦夷対策の拠点。
724年から大野東人が創建、782年に大伴家持が陸奥按察使・鎮守府将軍
として赴任。しかし、3年後に当地で死去。
791年坂上田村麻呂が征夷副将軍に任命され初めて陸奥に来る。
この頃は蝦夷との戦闘状態にあり、801年に胆沢の首長阿弖流為や母礼
を降伏させ長期に渡った戦争を終結させる。
田村麻呂は802年に胆沢城を造り多賀城から鎮守府を移す。
JR国府多賀城駅の目の前に館前遺跡があり、ここから歩いて10分
南門跡、すぐ後ろに多賀城碑(壺の碑)。
更に整備された坂を上ると政庁跡にたどり着く。
胆沢城跡もそうだが多賀城跡でもその区画内を一般道路が走っており
何か残念な気がした。
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