岩手県盛岡市にある厨川柵跡(天昌寺)
お城

岩手県盛岡市にある厨川柵跡(天昌寺)

並木屋敷(衣川)から追われた安倍一族は、小松柵・鳥海柵も捨て最後の砦
厨川柵に籠った。厨川柵は現在ある天昌寺のあたりと推定されている。
天昌寺は正門(南側)から見ればかなりの石段を登ることになり、西側は
川か崖であったであろう溝が残っている。東側はなだらかに北上川へと
傾斜しており北側は平坦なのでかなり広大な柵であったのではないか。
この厨川柵で、源頼義・義家父子及び清原氏を相手に数年戦い、最後には
捕えられ頼義の前で絶命し、弟の宗任は捕えられ京へ送られた。
この戦いを皆様ご存知の前九年の役と言うが実際は12年位あったそうです。

盛岡駅からレンタサイクルで約15分、館坂を左折して走ると前九年一丁目の
信号が目に入る。更に進むと天昌寺の裏門があり、その横に写真の「厨川柵」
の看板がある。遺構らしいものは何もなくこの看板のみが昔を語っている。
Pは天昌寺西側にある。なお、館坂の交差点を北に行くと安倍館町があり
右折すると突き当り左手の雑木の中に貞任宗任神社が静かに佇んでいる。

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投稿者

大阪府




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