大分県 臼杵市にある臼杵城跡
臼杵城は現在臼杵市街地にあり島だったとは思えない。
キリシタン大名の大友義鎮(宗麟)がその本拠地である府内城(大分市)で
家臣の謀反により逃れたのが臼杵湾に浮かぶ岩山の丹生嶋。(1556年)
臼杵湾に浮かぶ城、これが臼杵城です。
大友氏滅亡(1593年)後は、福原直高、その後太田一吉が城主となり
石垣や天守台、櫓や門の建設など近代的な城郭へと改修しました。
また、大友氏時代は西に本丸、東が二ノ丸の配置だったのを、
福原・太田時代に西に二ノ丸、東に本丸と配置を逆転しました。
従って、現在でも東の本丸跡の方が西側より低くなっています。
関ケ原の戦い後、稲葉貞通(稲葉一鉄の次男)が入封し(1600年)、稲葉氏が明治維新まで続く。
写真は岩山の上に築かれた門や櫓。左が大門櫓、右が畳櫓。
畳櫓は、天保年間に造られたもので1Fと2Fの床面積が同じ
重箱造り。大門櫓は平成12年に造られた模擬復元建物。
他に、嘉永年間に再建された卯寅口門脇櫓も残っておりこの櫓も重箱造りです。
臼杵といえば、臼杵石仏。これは見事。一見の価値があります。
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コメント
大友宗麟の臼杵城、独特の雰囲気もあり、良いところですよね。(^-^)